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プラモ製作記や日々の出来事を気の向くままに~


今から66年前の今日、玉音放送により、国民に敗戦が伝えられ

日本に多大な被害をもたらした 太平洋戦争が終わった日である。

毎年、この時期になると各メディアの戦争特番が盛んになり

それらを見ていると、思い出す事がある。

今日は その事について記したいと思う。


2.jpg























(祖父のアルバムより)


それは2007年に83歳で他界した私の祖父との出来事だ。

私は恥ずかしながら20~23歳まで、

ミュージシャンを目指してフリーターをしていた時があった。

フリーターといっても週2~3回のバイトしかせず、

その他の日は適当に暇をつぶして暮らしていた。

祖父も、私が定職に付かずフラフラしている事を心配してくれていた

ようだったが、愚かな若造であった私は、

心配されてる感にあまりいい気はしなかった。



そんなある日、私が居間に行くと

じいさんがコタツに座って何をするでもなく、お茶をすすっていた。

私はふとTVを付けると 沈没した第二次世界大戦の戦艦「長門」を

海底で捜索する主旨の番組がやっていた。

特に他に見る物もないし、適当にそれを見ていたのだが、

祖父が海底に横たわる戦艦の残骸の映像を見て祖父がボソボソ言いはじめた



祖父「そうそう ここら辺に砲台があってな~・・・・」
 
私 「??・・やけに 詳しいな じいさん」

祖父「ああ 乗ってたんだよ コレに・・・
   お前らは幸せだよ、俺なんかが若い頃は
       戦争で散々な目にあった。
   仲間は皆死んじまったしな~ろくな事なかった・・・・」

祖父は昭和15年~昭和17年頃まで戦艦長門の砲手で
昭和17年に足を負傷して、治療のため長門を降りたとの事であった




私は若かったので、爺さんの昔話が始まった程度に思い 

きっと 近頃の若いモンは的な話に発展して

俺が定職に付かずフラフラしている事をとやかく言われるのだろう・・・

と思っていたので、祖父の話しを適当に流してその場を過ごした。

今思うと、私はなんと愚かな行動をとってしまったのであろう

祖父の話をちゃんと聞いておけばよかった・・・・・


その後、祖父と一緒に沈没した長門のTVを見た出来事は

日々の暮らしの中ですっかり忘れていたが、

祖父が亡くなった際、出てきたアルバムの中に

戦艦長門の資料や写真があり、それを見た私は、

その出来事を鮮明に思い出した。


それ以来 太平洋戦争に関連する事などを見ると

祖父と一緒に 戦艦長門の沈没後のTVを観た時の

光景が脳裏をよぎるのだ。


私はミリタリー系に全く興味が無く、むしろ戦争の象徴みたいで

好きではないのだが、頻繁に脳裏をよぎるもんだから 

戦艦長門が気になってしょうがない

正直、戦艦長門の模型が作ってみたい。

祖父が生きていて、私が戦艦長門の模型を作って見せたら

どう思うのだろうか? ・・・


おろらく、いい気分ではないだろう・・・・


でも、私は、いつか戦艦長門の模型を作りたいと思う。




1.jpg






















(よく見ると写真ではなく、絵である。
 長門乗艦記念に配られた物であろうか? )




17.jpg




(長門の甲板であろうか? メモ書きが無く 詳細不明)



4.jpg























(アルバムのメモによると 鎌倉の大仏
 おそらく祖父が居ると思われるがどこに居るかよくわからない。
 おそらく皆 海軍なのだろう?)



11.jpg


























(アルバムのメモによると 辻堂での演習風景との事
 70年程前の辻堂は何も無かったようだ) 




36.jpg

 
(右下に許可済と書いてあり、個人が撮った写真ではなさそう?
 写真の戦艦も私に知識が無く、機種は解からない)


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